2010年10月25日月曜日

「感じる」ということ

ここ数日で急に寒くなってきましたね。

ちょっと前までは、朝から夜(場合によっては夜中まで)店頭に張り付いていて、中華街から出ることもなく、お休みも取れず、「占いしかない」環境にいたので季節感なんて暑いか寒いかしかありませんでした。

関内For youをオープンさせてからは、店舗間が歩いて10分程度なので歩いて移動しています。
通り道になっている横浜公園や日本大通りは道路が広くて緑も多いので季節を感じることができます。

金木犀の香りを楽しみ、銀杏の実が大きくなるのを観察し、月を見上げて歩いていると、「占いしかない」生活では気がつかなかった事がたくさんあります。

例えれば、TVで見る花火は全体が見れて綺麗だけれど感動は薄くなります。
火薬のにおい、花火の音、空気の振動、温度、人ごみ、潮風(横浜港で見る花火ばかりなので)。
そういうもの全てを含んでの感動であって、体感のない花火はやっぱり楽しくありません。
体感、言いかえれば本物に触れる機会、経験が少なくなるということは、自分自身の感性も鈍くなり、結果的に自分自身が豊かでなくなっていきます。

仕事としての拘束時間は相変わらず長いですが、今は齷齪する必要がないので予約と予約の間に打ち合わせをしたり、デスクワークをしていたり、資料を読んで勉強したり。
仕事上のお付き合いや、友人と遊びに行く等の時間もとれるようになりました。

段々と自分の時間を取り戻していく中で、考えること・感じることの大切さを実感しました。
知識やデータの収集・蓄積だけなら、新聞・TV・ネットである程度収集できます。
それだけでは自分自身の血肉にはなりません。
沢山のモノに見て・触れて・感じて、感動することが大切だと思います。